令和元年も残りあと少しですね。
今年は仕事面でもプラベート面でも環境がガラッと変わった一年でした。
より良い環境変化ではありますが以前との差が大きかったのでまだまだその余波が残っています。
来年の前半までには少しづつ消化して新しい生活スタイルを築いていきたいです。

今回は造形に直接は関係無い話になります。
令和二年に向けて自分への戒めとして人とのコミュニケーションをテーマに書いていこうと思います。
物事の選択、判断をするにあたって常に感情と理性のバランスを取りながら行動していくと思います。
人には感情よりな人、理性より(合理的)な人といますが、
その両者の考えはなかなか相入れずトラブルになったことはありませんか?
これはどちらも良い悪いはなく、
ただ単にそういう性質なだけであり、
トラブルを起こす関係性は一見性格が合わないと見られますが、
私はお互いの性質をよく知る積極性があれば共生は出来るのではないかと思っています。

人は常に選択をする際、
自分の願望や合理性を考えながらその時に合ったバランスで考え判断していきます。
ここで個人だけのバランスだと全く問題はないのですが、
他者が1人でも関与するとバランスはその人とのバランスも考えての複雑な判断になります。
皆自然とやっている当たり前のことですよね。
これを私は「空気を読む」としています。
勿論話し合っての判断は別ですが。
この空気を読むことはコミュニケーションにおいてとても便利な能力ではあります。
毎度いちいち議論をしなくても判断が出来る能力ですよね。
しかし毎度この空気を読む技を簡単に使いすぎてしまうと、
相手との願望と大きく離れてトラブルになる可能性も多いです。
空気を読みすぎて相手に流されてしまうことも良くないように感じます。
私はこの技を反射的になるべく使わないように生活しています。
もちろんこれは人間の自然本能でもあるので完全には難しいですが。

コミュニケーションを取る上で私は、
私なりのコミュニケーションの型を考えていて、
相手によってその型を基準に変化させて意見の交換をしていきます。
勿論「型」と言葉にしなくてもある程度は誰もが自然にそうしているとは思っています。
この私のコミュニケーションの型は、
判断に必要な感情である願望と理性である合理的思考の他にもう一つの性質を意識することで型が完成します。
他者との感情をつなぎ留める存在。
それはいわゆる「徳」と呼ばれているものだと考えています。
ではこの徳はどういうものかと言うと、、、
その前に感情と理性の性質の特徴を捉えておきたいと思います。

感情的すぎる考えは、、、
自分の願望が主体なので理にかなったものではないため相手との摩擦が生まれやすいです。
願望を突き通すことはいわゆる「ワガママ」な状態ですよね。
その代わりに同じ立場、状況の人とは共感が生まれやすく大きなエネルギーを共有します。

理性的すぎる考えは、、、
願望よりも合理性を優先し、いかに効率的に動くかを重視していきます。
人からはよく「機械じゃないんだから」、「冷たい」等と、
思われてしまい感情の共有が難しくなってしまいます。
私は合理性を重視しすぎると「幸福感」が失われると感じています。
その代わり、この世の事象は何らかのロジックで動いているので、
その意見が正しい理論であれば物事はスムーズに流れ目的を遂げやすいです。
人はその時の状態や気分によって感情と理性の正しいバランスが取れなくなり、
他者とのコミュニケーションに支障をきたします。
そんな明らかな他者との相違もなかなか大変ではありますが、
私は特にその中で「面倒臭い」という感情がコミュニケーションにおいて最大の難敵だと思っています。
面倒臭いから始まるワガママは日々積み重なっていくとその人の人格も形成されてしまいます。

私のコミュニケーションの型はこの「面倒臭い感情」を目的とした考えになっています。
その私の型とはずばり、
自分と相手の面倒臭い感情のぶつかりは「徳」という思想で調和するというものになります。
つまり徳は自分と相手を繋ぎ止める役割であり、
両者の意見の納得出来る範囲を探す行為。
私は、お互いが出来るだけ納得出来る範囲内まで歩み寄ることがとても大事で、
お互いの利益と損失のバランスを調整することこそ最善のコミュニケーションだと思っています。
この徳の大事な部分は、
自分も相手も願望というワガママを少なからず抑えることで相手との共生が可能になるということです。
感情はその状況や気分によってはコントロールが難しいですが、
人が生きていくには「共生」が大前提です。
共生という言葉は堅苦しいですがとても身近なものであり、
夫婦間、友人、会社の仲間、など日々暮らしていくには常に誰かと共生するためのコミュニケーションの連続です。
この徳を意識したコミュニケーションは些細なことから簡単に対応出来ます。
些細なことは放っておくと知らない間に巨大な負の塊になりますからね、
取り返しがつく前に私はなるべく察知して先手を打つことを心掛けています。

人徳という言葉がありますが、
意味の一つに相手のことを考えて行動出来る様とあります。
まさにこの相手との感情のコントロールこそがその人徳の一つに当たると思います。
世間でいう人徳はあるどちらかの一方的な徳なので、
人徳がある人は貴重な存在と認識されていると思います。
しかし本当の人徳は誰もが意識して行うことがベターであり、
無駄な揉め事の無い共生が出来るようにしたいのであればお互いに意識するしかありませんね。
勿論常に徳を意識しすぎるのは疲れてしまうので、
コミュニケーションの違和感が出た時に限ります。
というより、むしろコミュニケーションの核は、
「違和感を感じた方が行動を起こす」ということにある気がします。
以上が私なりのコミュニケーションの型の話でした。
そうは言ってもまだ自分だけの願望に囚われる時もあるので、
お互いが上手く利益共有出来る訓練をコツコツ繰り返していこうと思っております。
造形とはあまり関係の無い話でしたがここで無理矢理繋げます。
造形の仕事で需要の高い人間の顔を作る際にも「人の形の型」が存在します。
(モールドではありません。)
それはその型を押さえておけば人の形として認識出来るものが出来る要点まとめ集になります。
現在私なりのその「型」を制作中なのでまた近々紹介していきたいと思っております。
何においても「型」があり、
その型を基準にして考えることで物事は上手く解決すると経験してきています。
今回のコミュニケーションの型は数ある中の一つに過ぎませんが、
格闘技等でも様々な型があるようにこれからもいろんな角度から対応出来る型を見つけながらやっていきたいと思っています。
では今回はこの辺で、、、
共に徳を意識して自然な良い関係性を築いていきたいと思う私の願望でした。

それでは皆様、良いお年を! ーGoushiー
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