興味と偏見から考える自分自身の個性

アインシュタイン

これはあくまでも、

 

主観的な、

 

私事な 個性 についての話。

 

 

 

 

意識せずに自然と身に染み付いているものを改めて考え直す。

 

 

まさにこれこそが自分自身の 個性 なのかと希望の灯火が見えた話。

 

 

 

 

私はこの造形業界に入った頃から、いやもっと前に絵を描いていた頃からかもしれないですが、

自分自身が納得のいくものをいつの日か作りたいと試行錯誤をし続けています。

 

それは、

単に作り上げることが目的では無く、

自分自身が作ったものであったとしても、

 

それを目にした時、私自身に100%以上の感動が湧き上がることが目的なのです。

 

それがもし他人には理解出来ないものであったとしても良いのかもしれません。

 

 

 

客観的に見て、

個性 的でクオリティの高いものはある程度作れるようにはなりましたが、

自分自身の奥底にある欲望のようなものは100%納得いくことがまだまだ無いまま。

 

段々と近づいている気配はありますが、、、

 

 

そしてその納得のいくものを作り、自分を感動させることが私の人生においての一つの課題となっています。

 

このことは仕事と全く関係が無いことで、、、

 

この欲求を満たさずには自分にとっての本当の彫刻の素晴らしさを実感していられない自分がいます。

 

 

一種の病気ですね、、、でも大丈夫な病気ですよ。

 

 

もし求めている「形」が私ではない誰かが先に作ってしまったとしても、

目的は100%感動出来る「形」を見て陶酔することにあるのでそこでその課題は完了となるのかもしれません。

 

もしかするとさらにその先の欲望が生まれる可能性もありますね。

 

彫刻

 

 

 

20代の頃は好きな形や興味のあるデザインから色々なものを取り入れて自分を試すように造形してきました。

その10年では自分を満足させるようないくつかの要素を発見してきました。

 

その中でも私にとって特に、

 

「コントラスト」を見るのがかなり重要であることがわかったのです。

 

コントラストは色々なところにありますよね。

 

単純に色であったり、奥行きの加減であったり、、、

 

逆にコントラストが少ないものは受け付けられないということも分かりました。

 

このことはかなりのヒントであり、その後何度取り入れても飽きることのない要素でありました。

 

 

そして30代になり徐々に考え方も変化し現在では、

直線的に探すのではなく他方面からも攻めることで、

今までの道には無かったものも取り入れていこうと奮起しているところです。

 

徐々にではあってもその方向転換は難しく1年のうち何度か道を戻してしまいそうになります。笑

 

 

 

芸術の分野は10年程度かじったくらいではまだまだ達成出来ないものであるとも実感しています。

 

この先何年かかるか分からないですが、地道に探っていこうと考えています。

 

見つかった際にはこのブログでも発表するので色々な方の感想も聞いてみたいですね。

 

 

授業

 

 

 

 

そして実はここからがこの記事の本題です。笑

 

 

 

 

何年か前に制作したアインシュタインのマスクを見返していた時にふと考えたことがあります。

マスク

 

ちなみにこのマスクはうちの社長である Amazing JIRO が「TED」というスピーチイベントで使用したものです。

動画リンク貼っておきます、お時間ある時にでも。

 

「TED × 羽田空港」


アルバート・アインシュタインといえば、数々の格言を残していますよね。

 

 

その中で、

「常識とは十八歳までに身に付けた偏見のコレクションのことをいう。」

と、あります。

 

この言葉は色々な事柄に当てはめることが出来ます。

 

私の場合単に常識のことではなく、自身の 個性という部分に置き換えて考えました。

 

 

個性 = 興味 = 才能の片鱗 (性格の部分は省きます)

 

 

自分を主観的に満足させるものというのは興味のある好きなことであり、

それは自分の 個性 を上手く引き出して表現することにあると考えました。

 

私はその誰もが持つ 個性 というものはそれぞれの才能(の片鱗)であると考えています。

 

その才能を上手に昇華させることが出来れば自分自身にとって、

望んでいた感動へと繋がる唯一の道ではないかと思いました。

 

昇華させるためにはまだまだ色々なことを学ばないといけないのですが。

 

アルバート

 

 

興味ということにおいてもその年代頃に影響を受けたことは、

ずっとその後にも影響するのではないでしょうか?

18歳というよりもう少しアバウトでも良いかなと思っていますが。

 

 

私のその感動したいものを説明すると抽象的な言葉表現になってしまうので、

音楽に置き換えてみたいと思います。

 

 

高校生のとき、「LINKIN PARK」という洋楽に衝撃を受けました。

それ以降、ボーカルのチェスターが亡くなってしまった今でも聴き続けています。

もちろん他のアーティストの音楽も色々聴いています。

 

その年代に衝撃を受けた影響というのはなんでもその先もずっととなり興味 個性 として形成されていませんか?

 

LINKIN PARKに出会った後も、同レベルで感動出来る音楽は他にもあるのではと探していた時期があります。

ですがその年代を過ぎてしまうとLINKIN PARKを超える音楽とは出会えなくなってしまいました。

 

ちなみに邦楽では、

サーフィス、SOUL’d OUT、ミスチル(ディスカバリーのみ)、ポルノグラフィティ(ロマンチストエゴイスト)、ELT(当時の)

などの曲調が私の邦楽の芯となっています。

 

 

この感性もまさに偏見のコレクション(興味の向くもの)と言えますよね。

 

 

そして私の芸術に関係する分野での偏見のコレクションは、

 

・絵(特にキャラクター)

・彫刻(高校生の時に観た映画での特殊造形)

・漫画(構図、コントラスト、間、表現方法)

・Magic The Gathering (独特なダークな世界観)

 

 

最近になってアインシュタインのこの格言を読み返した時、

この4つの分野が芯として自分の興味を形成していることに気付きました。

 

ということで、

 

この偏見のコレクションは自分の芯となっているため、

欲望を満たすためには避けられない要素ではないかと仮定することにしました。

 

これはこの先の大きなヒントであり、進歩に繋がる可能性を感じています。

 

 

 

そしてこの4つの分野を上手く融合させることをまず目標にしてみようと思い立った日でありました。

 

個性を上手く掘り起こすことで客観的にも芸術作品としての価値が生まれるかもしれませんね。

 

 

興味

 

 

以上、今までの人生の文脈から 個性 を探る考察。

人生の偏見を自分の作品にも取り入れていくことの重要性を見出すことが出来ました。

 

そして、

作品に個性が出ない場合は個性文脈のレイヤーが足りていないということもありそうですね。

多方面で、かなり抽象的な話でしたが共感頂けると嬉しいです。

 

 

それでは、

皆さんも感動出来る芸術の日々を目指して。 ーGoushiー

 

アインシュタイン

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