【アートチャレンジ2話】
前回では世界的に有名な アート の分野ということで、現代アートについて少し踏み込んだ状態でありました。
この時私が学んだ現代アートの印象は、
ただ単に芸術的なものを作るという目的だけではなく、
むしろその要素は一先ず置いておき、
そのアートが何を意味するものなのかに重点を置いているということです。
それは芸術表現における新しい試みや捉え方、考え方など様々です。
文脈を知ることの重要性
自身の勉強不足と言われてもしょうが無いのですが、
この辺りは今までの日本の教育やメディアからの刷り込みも少なからず影響していて、
本質を観る概念にストップがかかっているのではと感じてしまう部分があります。
(完全にそれを否定するということではないですがこの部分もプラスマイナス的な共存理論であると思います。)
これは他の分野にも言えることだと思いますが、
「知らない」「気付かない」というのは非常に恐ろしいことでもあるなと実感しました。
「実はこうだったんですよ」という時の衝撃さは急激な成長に変えてくれることもありますが、
その逆に無駄な努力の方向になっている可能性もあり得ますので、
興味あるものだけでも積極的に日々学んでおかないと、となりますね。
しかしながら村上さんの著書の中で、
むしろ勘違いしていた方が枠組みから外れ、新しい価値感が生まれるという意味のことも書かれていました。
全てのことに置いてやはりプラスとマイナス面が同時にあり、
この両者の関係性を常に知った上で物事を進めることで、
より早く目標に近づくことが出来るようになるかもしれません。
実際にはハイレベルなことですがこれも慣れるまでですね。
現代アートの鑑賞方法は、
「パズルゲームを解くようなもの」という表現がされていました。
そうなるとこの概念を知らないまま鑑賞するということは全くの御門違いとなってしまいますね。
ただ、
そういう予備知識があったとしても意図を読むことは非常に難しいです・・・。
まずはいろんな解説を読みながらあるのかわからないですが、
方程式のようなものを見つけていくしかなさそうですね。
この難解さというのはやはり人々が虜となる要因の一つなのでしょうか。
もしくは芸術を行うことにより、
人間ならではの様々な感情と思考を表現させた必然的な結果なのかもしれませんね。
やはりアートは奥が深く、自分自身でも踏み入れてみたい興味深い感覚がここにはあると感じました。
自己分析による本質的な充実感の探求
そういえば、私が「死ぬまでに見ておきたい求めている形」という幻想にこだわっている理由ですが、
これは自己分析をしたことで、より明確になった事柄になります。
誰でも一度は、
心の底から本当にやっていて充実することは何なのかを考えることがあるかと思います。
私の場合、色々なものを第一優先に当てはめていった結果、
一般的な幸せという印象の事柄がどうも当てはまらなかったのです。
一般的な幸せとは、富、名声、家庭のようなものです。
もちろん幸せを感じることは出来ますが、
芸術的な幸せを知ってしまった以上これに勝るものは無いといった感じです。
そして幸せは継続しても幸せだと感じるものが良いと思っています。
ライフワークとして創作活動を考えて生きている今、
この芸術の中に自分の求めている継続的な幸せがあるのではないかと予想している状態です。
現在の仕事や仕事外での創作における情熱はどこから来ているのか、
創作以外のことをしているときに起こる虚無感(重症的ではないですが)はどういうことなのか。
そんな色々なことを巡らせながら過ごしていくうちに、
自分に合う、「良い形」や「絵」を観たときに他の事柄では感じられない高揚感がありました。
しかし今までに観た作品群にはまだ自分が100%以上の高揚感を得られるものがありません。
本当に様々な素晴らしい作品を見てきてもどこか自分に合わない形が少なからずあります。
私は幼少の頃に好きなキャラクターを模写することにハマっていましたが、
その際気に入っていない部分を自分に合うデザインにアレンジして描いていました。
生活環境に置いても衣服やインテリア雑貨、バイクなど、既存品を買う際にもどこか気に入らないところがあり、
それに少し手を加えて使用するかもしくは、作るかしてしまいます。
これは、
やはり完璧に自分に合うということは、作品の要素全てが自分の中から出たものでないといけないのでは?
と考えてみることにしました。
そこは、現代アートの要素である文脈という部分にも繋がりを感じていて、
自分自身という今までの文脈を辿り、作る作品に「自分のコンテクスト」を入れ込むことで、
満足のいく求めている形が作れるのではないかと予想することになったのが、
アートを探求するキッカケでした。
現代アートから学び、自分の興味・本質を強化させる
現代アートが他のアートとかけ離れて別格だと感じたことは、
作品自体のハイレベル性の要素もありますが、
ビジネスにおいてポジションが確立されているということです。
国を動かすほど大きなお金が動く経済価値になっているアートの世界では唯一の分野では無いでしょうか。
ここまでになると計り知れない覚悟のいる職業です。
実際に村上さんの制作現場を見ているといろいろなことが覆される思いです。
別の枠にいるのは分かっていますが今まで自分が戦ってきた強敵は何だったんだろうと・・・笑
そうなると目には見えない熱量のようなものが存在し、圧倒的な感動が起こる要因になると思っています。
村上さんの作品群にもどんなコンテクストが含まれているのかを鑑賞していくと、
今の自分の力量ではわからないことが沢山あります・・・。
しかし村上さんのアート作品には、
私にも届く見た目の迫力と魅了される要素もあり、
その肝心な意味を知らずとも圧倒される作品の数々です。
現代アートは西洋文化なので西洋人が作ったルールを理解した上で鑑賞すると言うのが基本になっているそうです。
アート文化が盛んになってきた日本の現在でもまだ一般には知られていないことですよね。
私は現代アートの知識についてはまだまだ未熟なのですが、
ここまでに得たもの、まだ綴っていない部分もありますが、
これだけでも言葉以上のなかなかの収穫だと実感しています。
もしビジネスと絡めてアートを進めていく場合には、
現代アートのような戦略的な面も大事な必須要素となっていきます。
ですが私の目標は自分自身にとってのアートがまず第一優先なので、
様々なアートジャンルを学び、その中から自分に合う要素を追加していこうと考えています。
そこで思うことはやはり第一の私の興味の要素は、
ノンバーバル的な見た目の魅力さがかなり大事な部分を占めていると感じています。
しかし見た目だけにこだわってしまうと表面上着飾った中身の無いものになってしまうので、
それを補う自分のコンテクスト要素を入れ込むことで何かまた私にとっての新しい刺激に繋がる予感がしています。
まさに村上さんの作品はどちらも両立していると感じます。
おそらく作品の中に私が求めている要素が入っているということとも取れます。
いつも見るたびに感動と悔しさが同時に訪れます。笑
ただ比べるまでも無い力量の差なので今はひたすら鑑賞して分析するまでです。
知識が増えるとやはり色々な試したい案が出てきますね。
最近気付きましたがシャワーを浴びている時が一番頭が冴えて考えがまとまっている事を発見しました。笑
終わった際にはメモを欠かさないように習慣付けています。
実際の制作にはもう少しまとまった段階で取り掛かりたいと思っています。
ではまた次回に続けます。
前回の旅。
それでは、良い 造形 ライフを! ーGoushiー
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