芸術を探究【7】特殊造形業は美術を更新する

芸術

 

【アートチャレンジ7話】

この世界のアートというものの理解を深めるには、

まさに現代の、その名の通りの「現代アート」がどういったものなのかを知る必要があります。

その現代アートが何故アートの中でも抜きん出ているのかというと、

人類が今もなおより新しい芸術の形を追求している最先端の位置にあるのではと感じています。

 

 

現代アートには色々な外見のものがありますので、

日本では一般的に評価基準が難しく何だかよくわからないものという認識が強いかと思います。

ですが、一大ビジネスになっているということは一般には分からない次元での仕組みがあるはずです。

 

今回はまず現代アートが何故そのような外見の芸術になったのかを、

現状の知識でまとめておこうかと思います。

 

 

さらなる芸術とは何なのか・・・という何層もの考えが芸術の見方を更新する

 

いろんな解説を読んだところ、

現代アートの始まりはマルセル・デュシャンというアーティストが発端だと書かれています。

現代アート(コンセプチュアルアート)の父とも呼ばれているそうです。

 

デュシャンの問題作品「泉(Fountain)」の発表により今までのアート・芸術を覆す革命が起きたとされています。

こちらがその作品。

 

マルセルデュシャン

 

白黒なので分かりづらいかもしれませんが、「R.MUTT 」とサインされたただの既製品の男性便器です。

初めてこれを観たとき私は、「ど、どこが芸術???」 と思いました。(笑

 

この作品を評価するには西洋芸術の歴史の流れを知る必要があります。

 

その歴史の流れというのが日本の教育ではあまり触れられておらず、

本来のアートについて正しく知る機会が本当に少ないと感じます。

これだけアートという言葉は浸透しているにもかかわらず、

実際にその意味を知る人はかなり少ないのではと思います。

 

 

ここからはマルセル・デュシャンについて私なりに解釈した表現で書かせて頂きます。

もしご指摘ありましたらコメント欄にガンガン書き込んで教えてもらえると助かります(笑

 

 

アート

 

まずデュシャンの泉が登場するまでの芸術の概念とは、

「ハンドメイドの一点物であり、外観的に美しい絵画」というようなものでした。

これは技術的な技で魅せる表現の競い合いが長年続いていました。

日本での芸術の評価基準はまさにどれだけ外観的に美しい表現が出来るかなのではないでしょうか。

これにはやはり、

有名な絵画の展示会に重きを置いたビジネスが多く行われているからなのか、

日本人の好みが技術志向なのかは分かりませんが。

 

現代アートの鑑賞方を知っていくと、

日本では現代アートをメディアに出すことは少ないので、

絵画が全盛期だった頃のまま、大衆的に芸術の評価基準方法が止まっているように感じます。

 

 

 

絵画

キャンバスに絵を描いて芸術を表現していた時代では、

未だ誰もがやっていない表現を探し求め、新しい絵画表現にチャレンジしていきます。

 

神や宗教の絵画から始まり、いわゆるファンタジーから現実的な写実的絵画に技術発展。

 

印象派、キュビズム、シュルレアリズムなどの表現は絵画の鑑賞に多様性を持たせる発明。

 

ジャクソンポロックのドロップペインティングでは常識に囚われない描き方を発明。

 

カンディンスキーまたはモンドリアンが発明したとされる抽象絵画。

 

この絵画時代こういったキャンバスの中でどれだけ新しい芸術を表現出来るかどうかの合戦ですよね。

 

そしてそこに全てを一掃するかの如く登場したマルセル・デュシャン。

 

デュシャン

 

 

デュシャンは今までの芸術の評価基準に疑問を持ち、(もしくは意図的に)

さらなる芸術を作るために「芸術とは何なのか?」という哲学的な問いかけを行います。

 

芸術とは網膜的(外見が美しい)で卓越した技術ありきの世界なのか?

というようなそれまでの芸術に対しての概念を覆す考え方です。

 

そのような発想から生まれたのが世間を騒がせた作品「泉」です。

 

まずこの便器は誰もが入手可能な既製品男性用便器です。

 

その便器にサインを入れ美術館に展示する。

 

これでデュシャンの芸術が完成するのですが、何も情報が無いと全く理解出来ないですよね。

 

この芸術の真相は、

日常的に誰もが毎日使用する物であるが美術館に展示することにより、

本来の有用性を無くし絵画と並び観賞用の作品にすること。

絵画の美的・技術的外観を楽しむことだけが芸術ではなく、

その芸術のもつ発想や概念を楽しむ知的な刺激が芸術であるべきと提案。

 

何故既製品を選んだのか、何故便器を選んだのか。

 

外見に現れる全てに理由があり、それを読みとることの面白さ、

 

人間という1番の能力である思考する力を生かした作品にすることで芸術が完成します。

 

そして、

美的、技術的な評価基準であった芸術から、

知的な読解を必要とする評価基準へと芸術の概念が更新されました。

 

 

正直分かったような分からないような・・・、

しかし、思考する能力に重点を置いた評価方法は人類的にも理にかなっていて凄く納得がいきます。

 

美的、技術的なものを作る上でもまずは頭で考えることからのスタートなので、

人間だけが持っている得意分野を最大限に生かされますよね。

 

もしかしたら解釈が違ってたら残念ですが、

そうだとするならば人類にとっての素晴らしい革命だと思いました。

 

 

 

かつて栄えた素晴らしい芸術はどうなるのか

芸術

現代アートは英語表記でコンセプチュアルアート。

まさにコンセプトを中心に制作する芸術です。

 

現在の最先端芸術の評価はすでに外見的な鑑賞方ではなく概念を読み取りどういった作品なのかを大事にしています。

それゆえ、外見の美を外した作風も多く、素人目にはよく分からないとても難解なものにしか見えないですよね。

 

現在ではこのマルセル・デュシャンが発明した芸術の評価基準を更新する合戦状態になっているそうです。

デュシャンの提唱はあまりにも画期的なことから「デュシャンの呪縛」と書かれていたものもありました。

 

面白いのですが、付いていくには相当どっぷりハマり込まなくてはいけなそうですね。

 

 

蛇

 

 

その概念に重きを置く芸術が出来た裏で、

かつて栄えた「網膜的」評価基準の芸術はどうなってしまうのかという疑問が湧いてきます。

この外見的絵画を今の時代に描いたとしても最先端の芸術世界では評価されないようなのです。

 

もうこの時代キャンバスに描く絵画や美的・技術的作品のマーケットは難しいのでしょうか。

ちなみにこのかつてのものを現在では芸術ではなく「工芸品、美術」と呼ぶそうです。(ざっくりかもです)

 

なるほど、芸術(アート)は人類の発明としての記録の一種なのだなと感じました。

 

芸術 = 発明

美術 = 技術追求

 

と大まかではありますが定義付けするとわかりやすいですよね。

 

さらに芸術とは時代により概念が変化し、今生きている時代を作品に写す作業なのだと。

 

 

かつての芸術は今でも物凄い価値がついていますが、

同じような、又はバージョンアップさせたぐらいの作品を制作しても今ではもう評価される時代では無いのだそうです。

あくまでも最先端芸術の範囲内ではありますが。

まさに芸術の業界も先行者有利であり、新しい発明をしていくこそが価値を作りますね。

 

 

 

 

そうは言っても!

やはりかつての美術を廃れさせるのはかなり勿体ないのではと感じます。

美術の世界にも現代アートのような大規模なマーケットがあればな〜っと思う日々です。

 

現に今の時代でも美術的な手法が強い作風でも売れているアーティストはいますよね。

 

この辺りの芸術と美術の評価のされ方がどうなっているんだろうと、、、実態が気になります。

 

美術の中にも今までにない新しい表現方法も必要になりそうだと感じます。

それが目に見える表現なのか見えないところなのか。

 

 

彫刻

 

特殊造形・特殊メイクの世界もまさに美術の世界。

多種多様なクライアントの望むイメージを形にしていく「ものづくり業」であり、美術の発展を促す技術の開発業でもあると思っています。

 

 

現代アートの基準に追いついていない?技術大国日本こそ美術の価値がもっと広がり、

アート市場が盛り上がると嬉しいのですが。

 

私は特に美術が好きですが、現代アートにある知的な制作方も楽しいと感じたので、

今後も両者の要素を大事にした作品作りを目指したいですね。

 

造形

芸術を探究【6】自分自身の興味を造形化してみる

2019年10月27日

 

 

ではこの辺りで、、、

 

地図

 

それでは、良い造形ライフを! ーGoushiー

 

 

芸術

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